相澤洋正マイストーリー

走る走る~小学生時代~

1976年 相澤家の長男として生まれる。
友達の男の子がピアノを習っていて、その影響もあって小4くらいから始める。
あとは、少年サッカー、少年野球、そろばん、などを習う。
近所の子が毎日ランニングをしていて、自分も走るようになる。
気がつけばどんどん子どもが集まってちょっとしたクラブのようになり、
その子のお父さんの指導のおかげで小学6年生の1000mで長野県2位、中学1年の1500mで県1位になった。
その頃の夢は「箱根駅伝に出る!」

 

 

 

好きな音楽との出会い①~中学時代~

中学にもし陸上部があったら、人生は変わっていたと思うが
なんと「なかった!」。なので大人の言う事に従ってテニス部に入部。
でも先輩と仲良くなれないし、強くなれないのでやめる。
ここで大きな出会い。それはロックバンドのX。
もうはまった。Endless rain をエンドレスに聴きまくり。
何度も何度もCDを聴いて耳コピして泣きながらピアノ弾いたりしていた、15の夏?
合唱コンクールの伴奏をしたり、文化祭では出し物のBGMをXの曲でアレンジしながら生演奏したりと
ピアノを好きなように弾く時間が増えた。

 

 

 

将来なりたいものは?~高校時代~

部活選びに関してはものすごく後悔していたので
今度こそ自分の好きなことを選ぶぞ、ということで
迷わずサッカー部へ。しかし・・・1年でやめる。
行きたい大学、将来の職業について考えるも
「なりたいものが見つからなかった!」
音楽の先生でもやろうかな?ということで教育学部音楽科を目指すことを決め、
多くの音大受験生を合格に導いていらっしゃる先生を紹介していただき、ピアノや楽典を習う。
恩師に「このままだと合格しないよ」って怒られ、サッカーをやめ、受験勉強にロックオン。

 

 

 

音楽の出会い②~大学時代~

憧れの大学生活&一人暮らし。
でも最初はなかなか友達が出来なくて居場所がなかった。
2年生になってようやくアルバイト先とサークルに友達が出来て
まずまず楽しい生活。恋人も出来たり(笑)。

次なる目標は先生になること。だから3,4年生は
興味ある科目は全部履修して勉強してた。燃えてたな。
授業でよかったのは「作曲法」。ここでジャズに出会う。
今まで知らなった音の響きに感動。弾きながら音の色彩を確認した。
で、友人が海外に留学したりするのを見て「本当に先生になりたいの?」と
自問自答。というか羨ましくなって、自分も行くと決意。
奨学金制度に応募して、合格して、町で壮行会までしていただいて・・・
なのに、直前で自分からお断り。
(行きたい国を3つ選ばなければならず、しかもどこに行けるかは分からないとの事で)
僕はイタリアにしか興味がなかった。なのでそれ以外では意味ないってお断りしたんです。
でも最初からこういう規定だったのに自分で勝手にイタリアに行けると解釈していて・・・
多くの人にご迷惑をおかけました・・・

音楽との出会いは久石譲氏の音楽。
心から「いい!」と思える音楽を探してCDを聴きまくる。その時に出会った久石music。
アルバムに入っている全ての曲がよかった。これだ!と確信する。

 

 

 

作曲開始~フリーター時代~

久石さんの音楽に出会ってから作曲家になりたいという気持ちが大きくなる。
ということで、先生になることはまだ先でもいいやと考え、いわゆるフリーターに。

まずは友人に誘われてアンサンブルグループに参加する。
ここではオリジナルの合唱曲やオペラを自主公演していて
その曲をグループの代表が全て作曲していた。
なんと身近に作曲家がいるではないか!
僕自身は歌い手として歌いながら
「言葉とメロディーの関係」や「合唱曲の書き方」を勉強し、自分も曲を書き始める。
(合唱曲は数曲書いて、演奏していただきました)

 

 

 

書いて書いて~迷いながらも進む時代~

アンサンブルグループで出会った友人達。
その一人が子どものための音楽教室を立ち上げ、僕は伴奏者としてお手伝いを始める。
ここでは絵本の読み聞かせをするのだが、その絵本にピアノで音楽をつけて読んでいた。
月1冊のペースで音楽を作り、子ども達の前で発表。
映画音楽を作るための練習だと思って、気合いを入れて創作していた。(やめるまでに20冊くらい作ったかな?)
物語や絵が生きるように1冊を通してどのような音楽をつければいいかを研究しながら制作していった。

そこで出会った別の友人とは演奏グループを作り、
僕は主にクラシック曲の伴奏をしていたのだが、
演奏会の中で1~2曲、オリジナルのピアノソロ曲を発表させてもらった。
「素敵でした」とか「感動しました」と言われた時の嬉しさと言ったらなかった。
自分の曲は通用する!と自信になっていった。


この時期のアルバイトでよかったのはジャズバーでの仕事。
といっても、演奏するわけではなくウェイター。
でも毎日プロがライブをやっているバーなので、いろいろな楽器や響きを体感することが出来た。
ジャズに興味を持ち、コードの勉強やコードの押さえ方、弾き方などを勉強した。

 

 

 

試行錯誤~不安と葛藤の日々~

映画音楽を担当したい!という思いはずっとあるのだがその方法が分からず。
音楽教室をやめ、グループをやめ・・・パソコンで音楽を作らなければと専門学校にも通い・・・
だって年齢的にも20代後半となれば結婚もしたいし、そのためには稼がないといけないし、と
見えない未来に不安と焦りがつのっていった。
でも自分には自信がないから人に堂々と会えないし・・・まぁいけてなかった。

それでも応援してくれる人のおかげで、弦楽器を入れた新しいグループを作り、曲を発表していった。
音源を録音してデモテープを作り、コンサートをしてお客さんに配った。
ただ同時に、僕の中の葛藤が次第に大きくなっていった。
それは、僕はピアニストではない、という事。
ピアノは上手くないし、いつもすごく緊張してミスはするし、
それに、世の中にはすごいピアニストがいっぱいいるから、自分が演奏をして生きていくなんて全くイメージが出来なかった。
そう、このグループでの今後がイメージ出来ないまま、進んでいたのだ。
そして結局、応援して下さる方などと摩擦が起きてグループは解散することになる。
多くの方に迷惑をかけましたよ、はい・・・
でも、この時には弦楽器の書き方や人と音楽を合わせることを勉強し、さらに音源を残すことが出来た。

 

 

 

大きな転機~作曲家人生始まる~

しかし人生って本当にどうなるか分からない。
まず結婚。まさか自分が出来ると思っていなかったからびっくり!(全然稼げていないのに)
もう飛び込んでいっちゃったって感じ。
さらに、奥さんと二人で事務所立ち上げ(ラトレ音楽事務所)&息子の誕生。

奥さんは僕の事を紹介する時に「作曲家の夫です」って言う。
まだ十分に稼いでいなくても、結果を出していなくても言っちゃう。
慣れない頃はすごく抵抗があった。「そうはいってもまだ大きな仕事してないし~」
でも不思議なもので口に出しているとそれが自然になってくる。
自分でも不思議なくらい、堂々と「はい、作曲家です」って言える。
そうすると、本当に仕事が入ってきたのだ。

その大きな転機となったのが山中湖国際音楽祭。
きっかけとなったのは一枚のデモテープ。
そう、以前に録音してお客さんに配っていたあの音源だ。
奥さんのチェロの生徒さんが聴きにきて下さり、僕の曲を気に入ったということで
山中湖国際音楽祭の音楽監督にその音源を渡して下さったのだ。
(なんとその生徒さんが、この音楽祭の主催者の一人という奇跡)

そしてその音源を気に入ってくれた音楽監督が
この無名の僕に、いきなり3曲も新曲依頼。
しかも箏や尺八が入った曲という難題。
当然、箏も尺八も今まで一度も書いたことないですよ。
でもこれが仕事だと、今は思える。
やったことがない事に挑戦し、その中で勉強しながら結果を出す。
すると、自分の出来るものが増え、新しい仕事に繋がる。
お金をいただいて仕事をするという大きな責任。
「そのプレッシャーがあるから」「期待に応えたいから」
こうやって少しずつ成長していくんだなと思う。

作曲家として成り立つには、作曲家として生きていくには
演奏者がやりたいと思う曲、
そして何よりお客様が「いい!」と思って下さる曲を書き続けられるかどうか、であろう。
それは実際にコンサートで演奏してもらい、お客様の反応を見なければ分からない。
だから、どんなに理論を勉強しても
どんなに知識をたくさん持っていたとしても
演奏されなければ、聴いて下さるお客様がいなければ、
何より喜んでくれる人がいなければ、成り立たない。
(知識はとっても重要です、もちろん。それがないと書けない)

自分の曲が素晴らしい演奏者によって音となってお客様に伝わった時、
大きな拍手を浴びながらステージに立った時、
それはもう最高の幸せ!

この山中湖国際音楽祭が僕にとってのデビュー(34歳)。
そして日本音楽著作権協会(JASRAC)と契約を結ぶことが出来たのである。

 

 

 

遠回りなんてない~好きなことを続けてきただけ~

山中湖国際音楽祭の時に「音楽の出会い」があった。
それは吉松隆氏の音楽である。
音楽祭のプログラムの中で「夢あわせ 夢たがえ」を聴いたが
とってもかっこよくて吉松氏のファンになり、以後CDや楽譜を集めた。
曲の作り方やタイトルの決め方などをかなり参考にしている(今も)。

それと、音楽監督に「曲のタイトルと構想」を事前に伝えなければならず
音が出来る前に、タイトルや構想を考えるということを初めてやった。
でも結果、僕にはこれがすごくよくて、タイトル・構想優先で曲作りをするというベースが出来た。

こうして自分の人生を振り返ってみると
全てが繋がっているということが分かる。
それぞれの時に必要なことを学び、
今それが全て生かされている!すごい!
でも、これは必然だったと今思える。
自分の思うように、自分のなりたいように
人生は進んでいくのである。だから何にでもなれるし、やりたいことが出来る。

僕は一度も就職しようと思ったこともないし、
結婚するからといって、しなければならないと思ったこともない。
(奥さんも言わなかった。今があるのは奥さんのおかげ、本当に)
自分の心の声に従ってやりたいと思ったことを続け、
やりたくないと思ったことをやめてきただけ。
でもそれでいい!
それがいい!

親や家族、過去の出来事や人、全てに心から感謝出来る。
ピアノを習わせてくれてありがとう。
今まで関わってくれた皆さん、ありがとう。
そして最大の応援者である家族、どんな時も応援してくれてありがとう。

こうしてわくわくと感謝でいっぱいの2015年。
自分がわくわくすることはとってもいい事なんだって。
わくわくして楽しんでいることが、結果周りの人も幸せにできるという素晴らしい法則。
心から願えば、イメージすれば本当にそうなっちゃうっていう驚きの法則。
予想を超えた出来事が自分にやってくるという人生の面白さ。

だからいい事だけをイメージすればいいし、自分で可能性を狭めることはない。

小学生の頃に親が買ってくれたクラシックのピアノ曲が入ったカセット。
あの頃はそれを何度も聴いていた。「いい曲だな~」って(特にショパン)。
ピアノはいつも身近にあった。
僕の原点はピアノだ。

ピアノを弾くのは楽しかった。
ピアノも作曲も好きで続けていただけ。だから努力とも違う気がする。
好きなことをしていれば、それが結果積み重なって大きな力になる。
好きな事ってずっと出来るもの、楽しいもの。
好きな事って素晴らしい!
僕が、大人が、
好きなことをして楽しく生きよう。
それがきっと子ども達に伝わる。
この世界は楽しい事がいっぱいだよって。

ピアノとともに、
家族とともに、
自然とともに、
全てに感謝して生きよう。
心からありがとうの気持ちを込めて・・・

作曲家 相澤洋正
2015.3.23 

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